ちょっと書きたいだけ

本当に自分がしたい生活を目指していこう!という自己宣言のためのブログ

2020年4月のつぶやき2

嫌な過去が忘れられないのはどうして?

多分、忘れたこともたくさんあるはず。

それでも忘れないものは完全に納得できてないから?

自分の中で燃えつきていないから?

もしかして、心のどこかで忘れちゃいけないと思ってるのかも。

それが、今の自分を作っていると思っているのかも。

そのおかげで、今の自分があるのだと無理矢理美化しようとしているのかも。

過去を教訓にしないといけないと思い込んでいるのかも。

過去のいい思い出もあったはずなのに、それ以上にイヤな思い出がある気がするのは、忘れちゃいけないという重たい「おもし」があるからかも。

それは、多分思い込みで忘れていいものだと思う。忘れた方がいいものだと思う。

あの苦しさがあったから今がある…そんなふうに無理矢理思わされてきたのかも。

そんなふうに語る人たちは、本当はどうなんだろう?

苦しいというのは、心なのか?体なのか?

好きでやっていることの中の苦しいと、イヤなことの中の苦しいのは違う。

なのに、ひっくるめて「苦しい」と言う言葉を使う。

「苦しい」ことがなんらかの教訓というのは違うと思う。