嫌な過去が忘れられないのはどうして?
多分、忘れたこともたくさんあるはず。
それでも忘れないものは完全に納得できてないから?
自分の中で燃えつきていないから?
もしかして、心のどこかで忘れちゃいけないと思ってるのかも。
それが、今の自分を作っていると思っているのかも。
そのおかげで、今の自分があるのだと無理矢理美化しようとしているのかも。
過去を教訓にしないといけないと思い込んでいるのかも。
過去のいい思い出もあったはずなのに、それ以上にイヤな思い出がある気がするのは、忘れちゃいけないという重たい「おもし」があるからかも。
それは、多分思い込みで忘れていいものだと思う。忘れた方がいいものだと思う。
あの苦しさがあったから今がある…そんなふうに無理矢理思わされてきたのかも。
そんなふうに語る人たちは、本当はどうなんだろう?
苦しいというのは、心なのか?体なのか?
好きでやっていることの中の苦しいと、イヤなことの中の苦しいのは違う。
なのに、ひっくるめて「苦しい」と言う言葉を使う。
「苦しい」ことがなんらかの教訓というのは違うと思う。